シミュレーション手法の共通化でクォークの謎の解明に貢献


宇宙の成り立ち解明の鍵を握るクォーク

上田悟研究員宇宙の歴史は約138億年前のビッグバンに始まり、その約100万分の1秒後には、それまで自由に飛び回っていたクォークが集まり、陽子や中性子が作られたと考えられています。さらに宇宙誕生から3分後、陽子と中性子が結合して、原子核が生成されました(図1)。
クォークは物質の最小単位である素粒子です。原子核を構成する陽子や中性子は総称して核子と呼ばれ、核子は3つのクォークからできています。クォークは単体では存在できず、核子の中から取り出せません。これは「クォークの閉じ込め」と呼ばれるものです。
また、陽子はプラスの電荷を持ち、中性子は電荷を持たないにもかかわらず、両者は引き合い、原子核を構成しています。そのため、電磁気力よりも強い力で結び付いていると考えられています。その力を核力と呼んでいます。
クォークや核子には、他の粒子に見られない不思議な性質が数多く発見されています。しかし、そのほとんどが謎のベールに包まれています。そして、その謎の解明は、宇宙の成り立ちの解明に直結します。
HPCI戦略プログラム分野5「物質と宇宙の起源と構造」では、「格子QCD」のコンピュータシミュレーションによる研究によって、その謎に迫ろうとしています。格子QCDシミュレーションを駆使することで、クォークから核子、原子核に至るまでの統一的な理解が可能となることが期待されています。
「例えば、陽子や中性子の質量やスピンの状態は数値計算や実験、観測により明らかになっていますが、これらを構成するクォークとの関連性はよくわかっていません。こうしたクォークと核子に関するあらゆる謎を解明したいというのが、我々の究極の目標です」。こう語るのは、高エネルギー加速器研究機構(KEK)の上田 悟(うえだ・さとる)研究員です。

図1:ビックバンから原子核ができるまで

図1:ビックバンから原子核ができるまで。温度が冷えるにしたがいクォークが集まり陽子や中性子ができ、陽子、中性子が集まって原子核ができたと考えられている。

コンピュータシミュレーションが必要な理由

陽子や中性子などの核子

図2:クォークとグルーオンのイメージ図。クォークは赤、青、緑の色荷をもち、グルーオンが色の交換を媒介している。

格子QCDのQCDとは、「量子色力学(Quantum Chromodynamics)」のことです。クォーク同士は「強い力※1」で結び付いており、これらは、量子色力学と呼ばれる理論で説明することができます。
量子色力学では、クォークは、赤・緑・青の3つの仮想的な「色」を持っていて、常に白色になる組み合わせ、つまり「3色が揃った状態でしか観測できない」としています。また、クォーク同士は、3つの色をお互いに交換することで相互作用しており、その交換を媒介しているのが、グルーオンと呼ばれる粒子です(図2)。

クォークに働く「強い力」は量子色力学で説明できるにもかかわらず、クォークの不思議なふるまいの謎を解明できないのは、一体なぜなのでしょう。それは、クォーク同士やクォークとグルーオンの間に働く力(「結合定数」と言います)が大きいため、方程式を解く形で答えを導き出すことができないからです。
例えば、原子核と電子を結び付けている電磁気力の場合、結合定数が小さいため、結合定数を無視したときの結果に“補正”を1次、2次と少しずつ加えていくという手法で、現象を説明することができます。ところが、結合定数が大きいと、補正を加えていってもその効果がある値に収束していかないため、この手法を使うことができないのです。
そこで登場するのが、コンピュータシミュレーションというわけです。世界中の研究者たちはシミュレーションを駆使することで、この純粋な理論計算では解くことができないクォークの謎の解明に尽力しているのです。

共通コードの整備と公開で、研究員の負担を低減

格子QCDシミュレーションによる研究は、日本だけでなく、米国や欧州など世界各国で行われていますが、「既存のプログラムを利用しようと思っても、管理者や窓口が明確になっていないため、使い方がわからない」「コード(プログラム)の読み方がわからない」「バグがある」といった問題が浮上していました。
そこで2008年、筑波大学計算科学研究センターの青木慎也教授(HPCI戦略プログラム分野5統括責任者)が、格子QCDに関する「共通コード」を整備して、誰でも利用できるようにしようと提案しました。そして2009年、この提案を受け、共通コード「Bridge++」プロジェクトが開始されました。
現在、「Bridge++」プロジェクトの中心的役割を担っている上田さんは、その有用性をこう語ります。「これまで、格子QCDの研究を始めようと考えている大学院生や、格子QCDに関する新たな理論を構築しようとしている研究者がシミュレーションを行おうとすると、一からコードを書く必要がありました。しかし、コードは何万行にも及ぶため、すべてを書くのは大変です。非常に無駄な作業でもあります。そこで我々は、共通するコードに関しては、誰でも使えるように整備し公開することで、研究者の負担を減らしたいと考えました」。

青木教授らが設定した共通コード「Bridge++」の目標は、以下の4つです。
(1)初心者でも簡単に読めて使ってもらえる「可読性」
(2)ノートPCからサーバー、スーパーコンピュータまで幅広いコンピュータに対応可能な「可搬性」
(3)複数ある既存の「フェルミオン演算子」やアルゴリズムに対応し、簡単に拡張できる「拡張性」
(4)実践で使用しても問題ない「高性能」

(3)のフェルミオン演算子とは、コンピュータ上で、クォークの運動を表す演算式です。連続的な関数をコンピュータで計算するときに現れる離散化誤差を減らすため、これまで世界各国でさまざまな演算子が考案され、計算に使われてきました。フェルミオン演算子として最初に考案されたのは「ウィルソン演算子」です。その後、離散化誤差を緩和するため、世界各国でさまざまな演算子が考案されてきました。主なものに「クローバー演算子」「ドメイン・ウォール演算子」「オーバーラップ演算子」などがあります。

スーパーコンピュータで超難問を解決できる

キャプション

図3:格子QCDの計算では、時間と空間を細かく分けて、それぞれの場所でのグルーオンの状態「配位」を作る。(画像提供:KEK)

そもそも格子QCDによるコンピュータシミュレーションとは、どのような計算手法なのでしょうか。
量子色力学は、素粒子同士の強い相互作用を記述する「場の量子論」です。そこで、時間と空間をとびとびに取った格子を作り、各格子上に、クォークやグルーオンを1つずつ乗せていきます。いろいろな色を持つクォークやグルーオンを乗せていくと、ルービックキューブのようなカラフルな格子ができ上ります(図3)。
そして、格子の色を量子色力学の理論に従ってランダムに変えていけば、クォークとグルーオンのさまざまな状態を作っていくことができます。このひとつひとつの状態のことを「配位」と言います。最後に、それぞれの配位の上で物理量を計算し、平均値を取ることで、必要とするクォークの物理量を得ることができます。
しかしながら、格子QCDシミュレーションは膨大な計算量を要します。格子のある1つの点の色について、「次は何色にするか」を決める際には、量子色力学に基づき、その点以外のすべての格子点の情報が必要になるからです。
そのため、早い段階からスーパーコンピュータを用いた研究が行われ、HPCI戦略プログラム分野5においても、スーパーコンピュータ「京」やKEKにある2つのスパコンを使って、格子QCDの計算を行っています。

KEK システムA: 日立 SR16000モデルM1

KEK システムA: 日立 SR16000モデルM1(写真提供:KEK)

KEK システムB: IBM Blue Gene/Q

KEK システムB: IBM Blue Gene/Q

実際に、スーパーコンピュータを使った格子QCDシミュレーションによって解かれた問題に「ヤン-ミルズ(理論)の存在と質量ギャップ問題」があります。これは、2000年に米国のクレイ数学研究所が発表した7つの「ミレニアム問題」のうちの1つです。いずれも1問につき100万ドルの懸賞金が懸けられた超難問で、すでに解かれているものに「ポアンカレ予想」があります。
ヤン-ミルズ(理論)の存在と質量ギャップ問題とは、仮にクォーク1つの質量を1とした場合、3つ集まって形成された1つの核子の質量は3となりそうなものですが、計測すると約1000になってしまう物理現象です。
「研究者達が、格子QCDシミュレーションで計算してみたところ、実際に約1000倍になることが判明しました。その理由はわかっていませんが、実験による観測結果とスパコンによる計算結果がピタリと一致したのです。ただ、ミレニアム問題は手計算が前提のため、残念ながら懸賞金を受け取った方はいませんでした。」と上田さんは語ります。

「Bridge++」で配位の再利用

さて、上田さんたちが整備した共通コード「Bridge++」は、2012年にバージョン1.0を公開。その後、改良を加えていき、2014年10月に公開されたバージョン1.2が最新となっています。
「当初の4つの目標は達成したと考えています。格子QCDシミュレーション初心者の修士の学生からは『ドキュメントが整備されているので、すぐに使えるようになりました』といった声を多く聞いており、評判は上々です」と上田さんは語ります。
また、本プロジェクトにおける大きな成果の1つとして、上田さんは「配位生成」を挙げます。
従来、クォークの運動をシミュレーションするには時間がかかるため、膨大な計算コストがかかっていました。しかし、すでに生成されている配位を利用することができれば、より多くの時間を本来のクォークの謎を解く目的のために使うことができます。そこで、世界的な動きとして、生成した配位を公開し、格子QCD研究者の間で共有するデータグリッド活動「ILDG(International Lattice Data Grid)」が進められてきました。
それに対応するように、「Bridge++」の中で、ILDGフォーマットの配位を読み込めるようにし、誰でも簡単に利用できるようにしたのです。その結果、より低コストかつ短時間で、シミュレーションができるようになりました。

演算子の高速処理化でクォーク研究に貢献したい

そもそも上田さんが「Bridge++」の整備に関わることになったのは、2010年12月のことでした。「大学院では物理学で博士号を取得しましたが、元々理論研究よりもコンピュータを扱う計算科学の方が好きでした。博士課程修了後は筑波大学で研究をしていましたが、2010年12月にKEKに移ったときにHPCI戦略プログラムの一員となり、『Bridge++』を担当することになったのです」。
一方で、上田さんは、オーバーラップ演算子の計算速度の高速化に取り組んでいます。「ウィルソン演算子を改良したものがクローバー演算子です。しかし、両者は、クォークに関する非常に重要な物理の1つである『カイラル対称性』を持っていません。そこで、カイラル対称性に関する研究を行いたい研究者が開発したのが、ドメイン・ウォール演算子と、その改良版のオーバーラップ演算子です」と上田さん。
量子色力学におけるカイラル対称性とは、1つのクォークが空間を飛んでいるときに、進行方向に向かって右巻きと左巻きのスピンを独立に扱えることを意味します。それに対し、オーバーラップ演算子は、カイラル対称性を含めたクォークの物理量を、より高精度に計算できるという特徴を持っています。しかし、そのために、ウィルソン演算子に比べて約100倍、ドメイン・ウォール演算子に比べて約10倍の計算コストがかかるという課題も抱えているのです。
それに対し、上田さんはこう意気込みを語ります。「計算手法を工夫することで、計算速度を今の10分の1に短縮できないかと考えています。がんばって2016年3月のプロジェクト終了までには実現したいですね。それにより、クォークの謎の解明に貢献したいです」。

用語解説

1 強い力
素粒子は大きく2種類に分かれます。物質を形づくる物質粒子と、その間で力を伝えるゲージ粒子です。グルーオンはゲージ粒の一種です。また、世界には「4つの力」が存在しています。「重力」「電磁気力」「強い力」「弱い力」です。その中で、クォーク同士を結び付け、陽子や中性子を形づくると同時に、原子核の中で陽子や中性子を結び付けている力が「強い力」です。