H ダイバリオンは存在するのか


格子 QCD と「京」で近似に頼らないシミュレーションを実行

陽子や中性子は3つのクォークにより構成されます。その2倍の6つのクォーク[uuddss]からなるHダイバリオンという粒子が存在する可能性がある―1977年にロバート・ジャッフェ(Robert Jaffe)が初めて予言しました。それ以来、理論家・実験家ともに、Hダイバリオンが本当に存在するのか研究を重ねてきました。その一人である京都大学基礎物理研究所の佐々木健志(ささき・けんじ)特任助教は、コンピュータ・シミュレーションによりHダイバリオンの存在の有無を研究しています。「研究すればするほど、真実に近づいている感じがして、本当におもしろい」という佐々木さん、いったいどのように研究が進んでいるのでしょうか。

H ダイバリオンはおもしろい

クォークが3つ集まった陽子や中性子などをバリオンといいます(図1左)。バリオン間に働く相互作用を格子量子色力学(格子QCD)の手法を用いて計算するHAL(Hadrons to Atomic nuclei from Latttice)QCDコラボレーションというプロジェクトチームがあります。チームの一員、佐々木さんが担当するのは、ストレンジクォーク(s)2個を含むダイバリオン(バリオン2つの意味)。佐々木さんは「s 2個はおもしろい!」と思いました。なぜなら、ストレンジクォーク2個とアップクォーク(u)2個、ダウンクォーク(d)2個からなるHダイバリオン(図1右)が研究対象に含まれるからです。Hダイバリオンは本当に存在するのか物議をかもしている粒子です。

図 1:バリオン(陽子)と H ダイバリオン

Hダイバリオンは、なぜそれほどまでに注目されているのでしょうか。ことの発端は、冒頭にも出てきた1977年のロバート・ジャッフェの予言―uuddss 6個のクォークがある条件*1を満たすと束縛状態となり、まとまった粒子として存在しうる―です。Hダイバリオンが実験で確認できれば、新種のハドロン*2となり、これは大発見です。ですから、実験系の物理学者もHダイバリオンの存在を確認しようと、日々研究をしていますが、まだ観測はできていません。理論物理学者も、Hダイバリオンは本当に存在するのか、様々な工夫をしながら真実に迫ろうとしています。これまでに発表された論文にはHダイバリオンは「存在する」という結果も「存在しない」という結果も両方あり、どちらが真実なのか、その答えはまだはっきりしていません。

より現実的なシミュレーションへ向けて

なぜ理論から、H ダイバリオンは存在する/存在しないという相反する結果が導き出されるのでしょうか。それは、計算に使う手法が異なるからです。H ダイバリオンが存在すると予言したロバート・ジャッフェが用いたのは、バッグ模型という手法です。バッグ模型は、クォーク間の相互作用を媒介するグルーオン同士が互いに複雑な相互作用をすることを、大まかに近似してしまう模型です。クォークを記述する理論である量子色力学の特徴を使ってはいますが、大幅な近似を取り入れて計算を扱いやすくしていました。その後、量子色力学の複雑な計算を可能にする格子 QCD の発見があり、そして何よりも、莫大な計算処理を可能にするスーパーコンピュータの発展もあいまって、格子 QCD を使えばクォークやグルーオンを厳密に扱うことが可能になってきました。

佐々木さんは、ジャッフェが予言したように「束縛状態のHダイバリオンは存在する」というシミュレーション結果を2012年に得ています*3。このときも格子QCDを使ってはいましたが、2つの非物理的な取り扱いをしていました。1つ目はuクォークとdクォークとsクォークは質量が等しい、という近似です。これは、uとdと s は互いに入れ替え可能(対称性がある)ということになり、それだけ計算を簡単にできます。しかし、実際は、uクォークとdクォークはほとんど同じ質量ですが、sクォークはuやdよりも重いということが知られています。2つ目は、u・d・sクォークともに実際のクォークよりも重いというものです。どちらの取り扱いも、莫大な計算量を減らすために行っているものです。これらの非物理的な取り扱いを減らし、なんとか現実の状態に近づけようと佐々木さんらは探究を続けてきました。

束縛状態ではなく準束縛状態なのか?

佐々木さんは2011年に、クォーク質量は重いという近似はそのままで、対称性は破れている状態で、理化学研究所のスーパーコンピュータ「京」によるシミュレーションを行いました。u・d・sクォークともに実際のクォークよりも重いのですが、sクォークはu・dより重くしています。すると、クォークの質量が実際のクォークの5倍くらい重い条件では、6個のクォークはΛ粒子(ラムダ粒子、uds)2つの束縛状態にあったのに、3倍弱くらいまで軽くしていくとN粒子(uud)とΞ粒子(グザイ粒子、dss)の準束縛状態になるという結果が得られました(図2)。

図 2:H ダイバリオンのイメージ図
クォークが 5 倍重い条件では束縛状態(下)であったが、3 倍弱の条件では NΞ の準束縛状態(中央)となる結果が得られた。準束縛状態は Λ 粒子 2 つ(右)に崩壊する。

準束縛状態とは、いったいどのような状態なのでしょうか。束縛状態にある粒子は、引力が働いていて1つの粒子として存在している状態です。準束縛状態というのは、束縛状態に似てゆるく相互作用している状態ですが、束縛状態とは異なり寿命をもって壊れてしまう状態です。したがって、もしuuddssからなるHダイバリオンが準束縛状態 に属する場合、最終的にエネルギー的に安定な2つのΛ粒子に壊れます。
Hダイバリオンが実験で見つからないのは、uuddss 6つのクォークは束縛状態をとれず、NΞの準束縛状態として存在していて、すぐに壊れてしまうからなのではないか。ロバート・ジャッフェが予言したような束縛状態のHダイバリオンは存在しないのではないか。佐々木さんは、これまでとは違う結果に面白さを感じました。

ついに現実に近い状況で

コンピュータの性能が上がってきたこと、そして格子QCDの手法に関わる研究が進んだこと*4が追い風となって、佐々木さんは2015年、ついに現実に近い状況でのシミュレーションに着手しました。クォーク質量も現実に近づき、さらに対称性も崩れているという前提でのシミュレーション研究が始まりました。

「シミュレーションの結果から、現実の世界では『束縛状態の Hダイバリオンは存在しない』ことが明らかにできました。これはとても興味深い結果なんですよ」と佐々木さんは静かに、物理の世界に与えるインパクトを示しました。ただ、以前のシミュレーションで得た「準束縛状態」については、はっきりとした結論はまだ出ていません。
「NΞの準束縛状態だ」と言い切るためのカギになる「NΞ間に働く強い引力」の存在は明らかになりました。「ただし、引力は準束縛状態と言い切るだけの強さではなかったのです(図3)。それでもまだ検討の余地は残されています。現在はNとΞの2つに働く力を計算していますが、Ξ の周りにもっとたくさんの N がいる場合には、多数の粒子が集まって束縛あるいは準束縛状態を作る可能性は十分に残されています。そこは、今後の研究課題です」と佐々木さん。現実世界でのHダイバリオン状態の真相を突き止めると同時に、NとΞが束縛して作る原子核(Ξハイパー核)の構造についても研究を進めていきたいとのことです。

図3 :ΛΛとNΞの散乱観測量(イメージ図)
左図はHダイバリオンが準束縛状態として存在する場合のΛΛ(赤線)とNΞ(青線)の散乱位相差で、横軸は2粒子の重心系でのエネルギーである。右図は準束縛状態とならない場合の散乱位相差。重要な違いは、ΛΛの散乱位相差がNΞのエネルギー閾値近傍で90° を取るかどうか(点線丸で示した部分)であり、この狭いエネルギー領域でのふるまいの違いが確認できるかどうかが今後の研究のカギとなる。

そんな佐々木さんは「ダイバリオンの研究をすればするほど、バリオン間の相互作用がわかってくるのが本当におもしろいです。バリオン間の相互作用がわかると、物質の相互作用全体を知るきっかけとなります」と楽しげに語ります。佐々木さんの研究の続きはどのような結果になるのか。そして、実験系の研究でHダイバリオンやNΞハイパー核は見つかるのか。今後の研究の行方が気になります。

脚注

*1 論文の中で予言されたH ダイバリオンは [uuddss] で構成されるもので、スピン、アイソスピン共にゼロの状態。
*2 強い相互作用をする粒子の総称 バリオンやメソン(中間子)はハドロンの一種。 
*3 日本大学生物資源科学部・井上貴史准教授らとの共同研究T.Inoue et al[HAL QCD Coll.] NPA881(2012) 28
*4 Ishii, Aoki, Hatsuda, PRL99 (2007) 022001 石井理修准教授の研究成果は月刊JICFuSでも紹介されています。

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